キリスト教の母胎としてのユダヤ教

今回はユダヤ教の話です。ヘルメス学との関連でユダヤ教というと、何よりもまずカバラを思い起こされる方が多いと思います。しかしながら、カバラについては後に述べることにいたしまして、今回のお話はキリスト教の母胎としてのユダヤ教。以前の投稿で、ヘルメス学理解のためにはキリスト教に対する理解が不可欠と述べたのですが、キリスト教理解のためにはキリスト教の成立した過程を押さえることが重要です。そんなわけで、今回はいわゆる異端めいたお話には流れません。

さて、キリスト教の聖典として『聖書』がありますが、『聖書』はキリスト教の立場からは『旧約聖書』と『新約聖書』にわけられます。そして、『旧約聖書』の記述から、私たちは古代ユダヤ教の様子を知ることが出来ます。(ちなみにユダヤ教では『新約聖書』については『聖書』として認めていません。ユダヤ教で『聖書』といったらいわゆる『旧約聖書』の方を指します)。

ところで、キリストという言葉ですが、これはギリシャ語で救世主という意味です。『旧約聖書』でいうメシアがこれに当たります(『旧約聖書』はヘブライ語で書かれています)。つまりキリスト教は救世主の宗教もしくは救世主によってもたらされた宗教ということができましょう。救世主(メシア/キリスト)を待ち望む心性は、古代ユダヤ教の歴史の流れで形作られてきました。

これから数回に分けて、古代ユダヤ教からキリスト教が成立してくるまでの流れを見ていくことにいたしましょう。その際、キリスト(救世主)を待ち望む流れがどのように形作られてきたのかという点を意識してお読みいただけるとよろしいかと思います。

*ユダヤ教はイスラエル人の宗教です。『旧約聖書』によると、イスラエル人という言葉は、イスラエル人自らが自分を指すときの言葉だそうで、外国人は彼らのことをヘブライ人と呼んでいたということです。ユダヤ人という言い方は、後に触れますバビロン捕囚以後に用いられるようになりました。

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